会計事務所の業界には、20年以上にわたって流通している言葉があります。「属人化は悪である」。私はこの常識の大部分に賛成していますが、ひとつだけ重大な見落としがあったと考えています。今回は、その話を書きます。
この記事は、前回の「沖縄で一番給与の高い会計事務所を目指す理由」の続編にあたります。前回が宣言だとすれば、今回はその理論編です。
「属人化は悪」という常識が、前提にしていたもの
脱属人化が正義とされてきた理由は明快です。担当者が辞めたら業務が止まる。品質が人によってばらつく。ミスの原因が特定できない。どれも実在する問題で、標準化はそれを実際に解決してきました。
私自身、この方針を採ってきた側の人間です。当事務所は業界でもかなり早い段階からAIを業務に組み込み、会計ソフトとの連携やスキャンセンター体制によって、記帳から申告書作成までの工程を徹底的に標準化してきました。標準化の旗を振ってきた事務所です。この記事は、その旗を降ろす話ではありません。
そのうえで申し上げます。この20年の議論には、暗黙の前提がありました。
「標準化された仕事は、人間がやる」という前提です。
マニュアル化された作業は、新人でも、パートタイムの方でも、異動してきた人でもできる。だから事務所は人の入れ替わりに強くなる。そういう設計でした。この前提が成立している間、脱属人化は完全に正しい戦略でした。
その前提が、ここ数年で崩れました。
誰がやっても同じ仕事は、AIがやっても同じです
標準化とは、突き詰めれば「誰がやっても同じ結果になるように、手順を定義すること」です。入力と出力の関係を明確にし、判断の余地を減らし、例外を潰していく。
これは、いまの機械学習が最も得意とする形そのものです。
私はこの数年、当事務所でAIの導入を進めながら、ある居心地の悪さを感じ続けてきました。AIに任せられる仕事とそうでない仕事を仕分けていくと、任せられる仕事はほぼ例外なく、業界が20年かけて標準化してきた領域だったからです。
業界は、脱属人化という正しい努力を通じて、結果的に自らの仕事をAIが代替しやすい形に刻んできた。誰も間違ったことをしていません。当時の合理性に従っただけです。ただ、その積み重ねが、いま別の意味を持ち始めています。
念のため申し上げますが、これは標準化をやめるべきだという話ではありません。標準化は今後も進めます。AIに渡せる作業をAIに渡さない理由はどこにもありません。
問題は、標準化する対象を間違えると、事務所に何も残らないということです。
属人化には、二種類あります
ここが本稿の中心です。私は、「属人化」という一語がまったく異なる二つのものを指してしまっていることが、この20年の混乱の原因だと考えています。
情報の属人化 ― これは負債です
資料がどこにあるか。その処理をなぜそうしたのか。前期に何を論点にしたのか。それが担当者の頭の中にしかない状態です。
担当者が休めば業務が止まり、退職すれば引き継ぎに膨大な時間がかかり、顧問先は同じ説明を二度させられる。これは価値ではなく、負債です。当事務所は徹底的に排除しています。
信頼と判断の属人化 ― これは資産です
「あなただから話せる」「あなたが言うなら、そうしよう」。この関係のことです。
社長が資金繰りの本当のところを打ち明けるとき、後継者選びの迷いを口にするとき、選ばれているのは事務所ではなく人です。担当者が時間をかけて積み上げた資産であり、AIには代替できません。
①の情報の属人化について、当事務所は資料の所在、処理の経緯、判断の根拠をすべて記録に残し、誰でも辿れる状態にしています。システムとAIに投資している理由の半分は、ここにあります。
②の信頼と判断の属人化は、性質がまったく違います。同じ数字を見て同じ結論を出しても、誰が伝えるかで受け入れられ方は変わる。これは非効率でも属人的リスクでもありません。
そして、AIはここを代替できません。AIは判断の材料を人間より速く正確に揃えます。しかし「この人の言うことなら信じる」という関係は、材料の精度からは生まれません。何年もかけて、同じ人が同じ会社を見続けた時間からしか生まれないものです。
作業は標準化する。信頼は属人化する。
当事務所の設計方針を一行にすると、こうなります。
作業は標準化する。信頼は属人化する。
情報は透明にし、手順はAIとシステムに渡す。そこで空いた時間を、顧問先との関係に振り向ける。担当者が「この会社のことは自分がいちばん分かっている」と言える状態をつくり、その価値を給与で認める。
逆をやってはいけません。作業を属人化させ、つまりブラックボックスを放置したまま、関係のほうを標準化する。担当者をころころ替える。これが最悪の組み合わせです。業務は止まりやすく、顧問先との関係は浅いままで、しかも仕事はAIに代替されやすい。
「うちが売っているのは、申告書じゃない。この人になら任せられる、という安心だ」
代表社員の袖野が、以前こう言っていました。標準化する対象を間違えるな、という私の長い説明を、彼はもっと短い言葉で言っていたわけです。
業界の低賃金は、構造から生まれています
会計事務所業界の給与水準が高いとは言えないことは、業界の中では公然の事実です。私はこれを、個々の経営者の意思ではなく、構造の問題だと考えています。
| 悪循環(業界の構造) | 好循環(当事務所が目指すもの) |
|---|---|
| 脱属人化を進める | 属人的な価値(信頼と判断)を認める |
| ↓ 誰でもできる仕事になる | ↓ 高い給与で報いる |
| ↓ 誰でもいい給与になる | ↓ 人が定着する |
| ↓ 優秀な人から辞めていく | ↓ 顧問先との関係が深まる |
| ↓ 属人化リスクを減らすため、さらに標準化する | ↓ 提供できる価値が上がる |
| ↓ 以下、同じことを繰り返す | ↓ さらに払えるようになる |
左側は、一巡するごとに仕事が「誰でもできるもの」に近づき、払える給与が下がっていきます。誰も悪意を持っていないのに、全体としては下降していく。合成の誤謬の典型です。
当事務所は、これを逆に回そうとしています。
私たちが「沖縄で一番給与の高い会計事務所」を目標に掲げているのは、待遇を売り文句にしたいからではありません。この循環を回すには、給与が起点になければ成立しないからです。
誰でもできる仕事に高い給与を払うことは、構造的にできません。逆に言えば、高い給与を払える事務所とは、「あなたにしかできない仕事」を持つ人がいる事務所だということです。給与の話と属人化の話は、別々の論点ではなく、同じ一枚のコインの表と裏です。
「辞めない事務所」は、二つの設計でできています
ここまで読んで、「属人化を認めるなら、その人が辞めたときはどうするのか」と思われた方がいるはずです。当然の疑問です。
答えは、二つを分けて設計することです。
辞めたくならない事務所をつくる
待遇と文化の問題です。積み上げた信頼が正当に評価され、給与に反映される。ここが崩れていれば、どんな仕組みを整えても人は離れます。
辞めても業務が止まらない設計にする
情報の透明化です。資料の所在、処理の経緯、判断の根拠が記録に残っていれば、担当が替わっても顧問先に迷惑をかけません。
Aだけでは、経営としてリスクを抱えたままです。Bだけでは、働く人は「替えの利く駒」として扱われていると感じます。両方が要ります。
そして、この二つは矛盾しません。むしろ情報の透明化は、担当者を「作業の記憶係」から解放し、判断と関係構築に集中させます。ブラックボックスを抱えている人は、実のところ自分の時間をそこに縛られています。
それでも人は辞めます。家庭の事情もあれば、別の道を選ぶこともある。私たちは、去る人を丁寧に送り出す事務所でありたいと思っています。引き継ぎが整っているからこそ、辞める人が罪悪感を抱えずに次へ進める。情報の透明化は、残る側だけでなく、去る側のためのものでもあります。
あなたにしかできない仕事に、報いる
この記事は、業界で働く方に読んでいただきたいと思って書きました。
もしあなたが、標準化された作業の中で「この仕事は自分でなくてもいいのではないか」と感じたことがあるなら、それはあなたの能力の問題ではありません。仕事の設計の問題です。設計が変われば、あなたの価値は変わります。
当事務所は、スタッフを含めて8名の小さな事務所です。ただ、一人ひとりが「あなたにしかできない仕事」を持てる設計になっているかどうかには、こだわってきました。作業はAIとシステムに渡します。あなたには、顧問先との関係を持ってほしい。そして、その価値には給与で報います。
顧問先の皆様にも、一言だけ申し上げます。
私たちが担当者を固定し、その担当者に時間を投資しているのは、事務所の効率のためではありません。御社のことを本当に理解した人間が、御社の判断に伴走するためです。数字を作ることは機械にもできます。その数字をどう読み、どう伝えるかは、御社を知っている人にしかできません。
作業は標準化する。信頼は属人化する。
これから先も、私たちが守っていく設計です。
野田 洋平(のだ ようへい)
公認会計士・税理士/税理士法人袖野会計 沖縄オフィス 代表社員
慶應義塾大学商学部在学中に公認会計士試験合格。有限責任監査法人トーマツ、TOMAコンサルタンツグループ、デロイトトーマツファイナンシャルアドバイザリー合同会社を経て現職。東証プライム上場企業の財務デューデリジェンス、中小企業のM&A・事業承継支援に従事。
沖縄税理士会所属(登録番号 第138425号)
〒900-0015 沖縄県那覇市久茂地1丁目1番1号 パレット久茂地9階
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